普通に仕事や生活をしていても、
突然、理不尽なクレーマーや言いがかりに遭遇することは珍しくありません。
クレーマー対応の具体策については別の書に譲りますが、
「なぜこの人は、ここまで自然な流れとかけ離れた主張をするのだろう?」
と、不思議に感じることは多いのではないでしょうか。
そんな疑問の一部にヒントを与えてくれたのが、
『平気で他人を攻撃する人たち』(加藤諦三、2025年)です。
人間関係に疲れた方にお勧めの書籍です。
加藤諦三さんは、心理学分野の著書を数多く執筆され、
ニッポン放送「テレフォン人生相談」のパーソナリティを長く務めたことでも知られています。
攻撃性の置き換えという考え方
本書で繰り返し語られている中心的なテーマは
「攻撃性の置き換え」です。
攻撃する対象を置き換える、ということです
なぜか、いつもイライラしている人
なぜか、いつも誰かを批判している人
こうした人たちは、
「憎みやすい人」に対して、些細なことをきっかけに
「お前は許せない」と攻撃性を向けやすいと述べられています。
※憎みやすい人とは
反抗しない人、温和な人、匿名で攻撃できるネット上の相手など、
攻撃しても自分の立場が揺らぎにくい人を指します。
一方で、
本当に攻撃したい相手は別に存在している
しかし、その相手には攻撃できない理由があるため、
代わりの対象に怒りが向かってしまう――
これが「攻撃性の置き換え」です。
攻撃できない相手とは誰か
攻撃できない相手は、
親、上司、配偶者など、
物理的・心理的に逆らうことが難しい存在であることが多いとされています。
幼少期の体験が関係する場合、
その怒り自体を本人が自覚していないこともあると言います。
たとえば、
幼少期に親から虐待を受けた人は、
生き延びるために親に逆らえなかった怒りを、
成長後に動物や小さな子どもへ向けてしまう可能性があります。
また、
家の外では温厚に見える人が、家庭内でDVを行うケースもあります。
職場の上司や顧客への怒りを、
反抗しない家族へ向けている可能性が示唆されます。
理不尽な攻撃の背景には、
過去に蓄積された怒りを別の相手に向けて発散している側面がある、
というわけです。
自分にも当てはまるかもしれない?
読み進めるうちに、
「自分にも当てはまる部分があるかもしれない」と
少し不安になる方もいるかもしれません。
しかしながら本書の中で、
攻撃性の置き換えは、程度の差はあれ一時的に誰にでも起こり得る
とも述べられています。
この点は、少し安心と同時に納得できます
もし自分にその傾向があると感じたら、
自分の中の怒りの原因は何かを、
できるだけ冷静に見つめ直すことが大切です。
可能であれば、
代わりに攻撃してしまった相手に謝罪することも、
人間関係を修復する一歩になります。
日中の怒りを、誰に向けていませんか?
日中、仕事で嫌なことがあり、
夜になって身近な人に冷たく当たってしまった――
そんな経験はありませんか?
喜びは分かち合うと倍になり、
怒り・悲しみは分かち合うと半分になると言います
実体験でもそう感じています
日中の愚痴を信頼できる人に話し、
共感してもらうだけでも、
怒りが別の形で発散されることがあります。
「昭和の男は仕事の愚痴を家族に言わない」
と美化するドラマもありますが(昔の話?)、
結果的に家族全体の幸福度を下げたケースもあったのでは、
と感じてしまいます。
もちろん、すべてはケースバイケースですが
理不尽なクレームを受けたときの視点
他人からの注意や指摘の多くは、
自分を育てるためのアドバイスになります。
しかし、ときに
「ここまで言われる筋合いはない」と感じるほどの
理不尽なアドバイス(ときにクレーム)に出会うこともあります。
そんなとき、
発言した相手の背景を少しだけ想像してみる
という視点を持つのも一つの方法です。
自分のためを思ってくれていた、
という前向きな解釈に至ることもあれば、
単に
別の誰かへの怒りを、自分に置き換えているだけ
という場合もあります。
それに気づけるだけでも、
心をすり減らす度合いは、少しだけ軽くなるかもしれません。
自分と周囲の人の心の健康のために
・自分が強い口調で文句を言ってしまったとき
→「本当は別の怒りを向けていないか?」と自問する
・誰かが理不尽なクレームをつけている場面に出会ったとき
→「この人は、別の何かに怒っているのかもしれない」と俯瞰する
そんな小さな心がけが、
日々の心の健康を、そっと守ってくれるように思います。
心が落ち込んだときの考え方については、
こちらの記事でも紹介しています。
👉 落ち込んだときこそ人生の本質に触れる
― 遠藤周作さんの言葉に学ぶ心の持ち方
論語2-10に以下のような記載があります
子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉
子曰わく、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察れば
人焉くんぞ廋さんや、人焉くんぞ廋さんや
先生は言われた「その人の行動を観察し、その行動の理由を考察し、そしてその行動の結果を推測すれば、どうして人の真の姿を隠せようか、隠しようがない」
一人の人間には、動機 ⇒ 行動 ⇒ 結果 という一連の流れがあり、そのどれか一つだけに注目すると全体が見えてきません。逆に全体の流れを見ると、その人の真の姿がみえてきます。
加藤諦三さんと論語2-10は同じ内容を別の表現で現わしていると感じました。

心と身体の健康のために

